水玉屋

狂いたくないオタク

"黎明録"が好きということ

 試しに一本ブログを書いてみたものの今ひとつスッキリしなかったので、とりあえずスッキリするために自分語りでもしようかと思います。

 しかし「黎明録が好き」というだけでは多分なにも伝わりませんので、頑張ってせめて人に伝わる自分語りがしたいと思います。伝わらなかったらまあ、すまんやで。


 まず自分が薄桜鬼を知ったきっかけは、学校帰りに買い、片道3時間の電車の中で読んでいた漫画、の中に挟まっていたGirl’s Styleの広告でした。

 当時すでに銀魂司馬遼太郎PEACE MAKER浅田次郎等々経由で創作幕末にも手を出していた私は新選組を題材にしたゲーム、ということでまあ顔と服的にこれが土方なんだろうなと思い、カズキさんのイラストに心惹かれて寮生活&図書館の本さえあれば別に……な日々で余りまくっていたお小遣いでPS2版の「薄桜鬼 新選組奇譚」の限定版を予約しました。(残念なから当時は店舗特典というものを知らずにそのまま予約してしまった。無念)

 そんなこんなで最終的にはボロボロに泣きながら無印を全クリし、何本かの風姫小説や土千イラストを書きつつも熱は1年経たずに落ち着きました。当時はFDが出るのか当たり前、という風潮も知らなかったため随想録は発売してからずいぶん後に買いましたが、黎明録は予約しました。


 さて、前提として私は歴史物が好きです。時代物ではなく、とりあえずここでは歴史物と言っておきます。

 小説、漫画、舞台、映画問わず、きっちり最新の学説に則って書かれたものも、真偽気にせず有名な逸話を取り上げて書かれたものも、それこそBASARAのように歴史要素どこいった!? と言われるようなものも好きです。

 物語の終わった先が見えている、というのが安心して楽しめるから好きなんだと思います。

 新選組ものの漫画って、打ち切りになったものも結構ありますよね。漫画界のことについては余り詳しくないのてすが、私が好きな新選組作品の半分くらいは打ち切りで終わったように記憶しています。(特に芹沢暗殺の一区切りで終わってしまった作品の多いこと……)

 しかしそういった打ち切り作品も、完全にオリジナルで打ち切りになってしまった作品に比べて、安心感があります。また、回収されなかった伏線の一部でも、その後の歴史を知っていれば、この事件につながるんだろうな、あのエピソードに向けてだったんだろうな、と想像出来ますし、きちんと描かれ切ったものでも、この人が死んだ後、この話が終わった後、この世界はこうなって、ああなって、と具体的なイメージが出来ます。

 さらに言うなら、物語のはじめからその人がどう死ぬのか!! というのがわかるから好きです。それを裏切られるのも、それまでの過程を見るのも読んでいて楽しくって堪りません。(BASARAは英雄外伝までしかやってないのでとりあえず例外とさせてください)


 (表向きには)そうなることをあらかじめ決められている、というその縛りの中で、それぞれの作者がなにを、誰を、どんな風に、どういうメッセージを込めて描くのか、というところに心を惹かれます。同時代の作品をいくつ読んでも飽きるということがありません。


 さて、話を黎明録に戻します。


 前述の通り、私はいわゆる無印が好きでした。黎明録を買ったのもその繋がりです。ですが当初は男主人公ということもあり、反感さえ持っていました。最初にノーマルバッドと沖田ルートをクリアしてからは話として面白い!と夢中になりましたが、しかし沖田、斎藤、藤堂、原田をクリアし、土方ルートに入ったまさにその時にPS2のメモリーカードが壊れ、受験も控えていた私はそのまま黎明録を友人に貸してしまい、長らく薄桜鬼のことも忘れていました。

 それからなんだかんだで大学に入り、友人Aのすすめで忍たまにハマり、ミュージカルを観に行った私はまんまと2.5次元舞台沼にハマります。と言っても忍ミュを観る他は友人が持っているペダステのDVDを一緒に観るくらいの、のんびりとしたハマり方でした。

 5弾再演から1年ほど、読む分には楽しいから、とニュースくらいの気持ちで受け取っていたイープラスのメールに、「薄桜鬼黎明録」の文字がありました。

 忍ミュにも一緒に行ったことのある友人Bが荒牧さんが好きだったことを思い出し、友達と一緒なら行こうかな、とチケットを申し込みました。意外とすんなり取れてしまったので、まあそれならいい機会だから、と3年ほど前に黎明録を貸した友人と会うついでに黎明録を返してもらいました。


 ブラウン管テレビでやっていた頃より輪郭のぼやけたゲーム画面で、私は最後にプレイしてから4年越しに、初めて土方ルートと芹沢ルートをプレイしました。

 まあその後はお察し。黎明録と井吹龍之介で人生狂った。


 これがおおよそ1年前のことです。


 それまでは長くてもハマってから半年程度で脳味噌が沸騰するレベルの熱は冷め、1年もすれば新しいジャンルに移っていたはずでした。

 それがここまで保ったというのは、もちろん黎明録が素晴らしい作品だったというのも、私の性壁にマッチするものだったというのも確かです。ただ多分一番は、タイミングにあったんじゃないかなあと思います。

 ここ数年は、ハマった作品があって、それについて考えて考えて考えて、としながら、自分ではもうこれ以上なにも考えられない、気になるポイントがない、となってその周辺について考えながら、熱が落ち着いて、ということを繰り返してきました。その結果が、黎明録にこんなに長くハマっている、ということなんだと思います。


 黎明録は、とにかく文章量が膨大にあります。それこそ1ルートで半日くらい余裕で潰れてしまうほど。人によっては丸一日かかるでしょう。

 そして7つある(あえて7つと表記します)ルートの全てが、互いに関係しあっています。同じ言い回しが違う文脈で使われて、違う意味を持っていたり、あるルートではそのために生きて死ぬ、というほどだったものの前を、あるルートでは素通りするシーンがあったり、全てのルートを終えれば、もう一度、読みたくなるルートがあります。どれだけ一つのシーンや、一つのシナリオについて考えても、それは必ず他のものに繋がっているのです。もうこれ以上なにも考えられない、という時が、いつまで経っても来ないのです。


 そしてそれは、黎明録の中で完結するものではありません。


 黎明録が発売する前、公式ブログで黎明録は「本編に還る物語」と表現されました。

 その通り、黎明録は、無印と密接に繋がっています。無印のストーリーがあったことを前提にして書かれています。無印の前日譚としての黎明録の中のキャラクターたちは、無印よりも青く、幼く、未熟です。しかしその時代があったから、無印でこのキャラクターはこんな言動をしていたのだ、ということがとてもわかりやすく描かれています。

 一方で黎明録は、薄桜鬼本編の前日譚というだけには留まりません。黎明録が終わり、この先は本編に繋がるよ、というような投げっぱなしな終わり方ではありません。

 前日譚としての役目を終えた黎明録は、黎明録の主人公、井吹龍之介の物語のクライマックスとなります。お互いにまだ未熟だった頃に関わった相手の、本編を経ての変化を見届け、また自らの変化を自覚して、そうして華々しい本編(というか著名な歴史上の人物たち)の影で、黎明録という物語は人知れず静かに、終わりを迎えます。


 私が黎明録に心惹かれてやまないのは、黎明録の構造が私が歴史物に感じる魅力的な点ととてもよく似ているからだと思います。黎明録は前述した通り、黎明録で初めて登場した井吹龍之介の物語としても読めます。しかしそもそもは、本編を前提に描かれた物語です。

 薄桜鬼本編を「正史」(あえてこの言葉を使います)、黎明録を「歴史物の創作物」と読めばどうでしょう。どこに繋がるのか、時代はどうなるのか、わかりきった上、そして縛られた上での作品です。


 もちろん、本編は本編そのままでも大好きです。そうでなければ乙女ゲームから派生した男主人公の「女性向け幕末ドラマティックアドベンチャー」などというよくわからない、闇鍋か? と思うようなジャンルのゲームを買ったりしていません。


 本編が好きです。好きだからこそ、それを前提に作られた、歴史と本編の二つに縛られた不自由な、しかし一方では、名も無き、だからこそ何者にでもなれる少年の、とても自由な物語がどうしようもないほど好きです。


 私の好きな黎明録は、本編がなければほとんど価値がありません。けれど私が本編を好きな理由の3割くらいは、すでに黎明録がなければ成り立ちません。


 そういう"黎明録"が、私は好きです。


 ということを、これからブログをやっていく上で表明しておきたいな〜と思いここに書いておきます。(なお、以上に書いたことは個人的嗜好の話のためこの記事についてのみ一切の反論を受け付けません。他の記事で気になる点があったらガンガン突っ込んでね♡)