水玉屋

気の狂った腐女子が自分語りしたり解釈吐いたりします。

松本先生と井吹(と千鶴)

「井吹龍之介とあばら家」の続き


 井吹はなぜあんなにも長く、傷が癒えた後まであばら家にいたのでしょう。

 この点については、単なる一つのシナリオ上の必要性に迫られて、という点にとらわれず(って言ってもシナリオ上の必要性って側面はめっちゃ強いだろうけど)黎明録という作品全体、さらには薄桜鬼シリーズの中の黎明録といつ見地から考えてみると、より面白いことが見えてくるんじゃないかなあ、などと思い自分の考えを書いてみました。

 長くあばら家で山崎の世話になっていた井吹をあの場所から連れ出すのは、近藤と知り合ったばかりの松本良順、という話は「井吹龍之介とあばら家」の「なぜ井吹はあのタイミングであばら家を出たのか」という話でも触れたので割愛します。
 一度、薄桜鬼という作品の中での松本良順について簡単にまとめてみましょう。

・雪村綱道の知人の蘭方医、また幕府の御典医
・無印開始時に千鶴が京で頼ろうと思っていた人物
・変若水の開発にも携わっていた(程度は不明)
新選組とも親しい(元治元年10月に江戸で近藤と知り合って以降)

 私はこの、「物語開始時に千鶴が頼って来た人物」というのもまた意味を持っていると思います。実際には松本と千鶴は入れ違いになってしまい、2人が会う頃には千鶴は新選組に馴染んでいますが、そもそもはじめに2人の入れ違いがなければ千鶴は新選組の面々と例え綱道の繋がりとして出会っていたとしてもあそこまで深い関わりは持たなかったでしょう。つまり、松本の不在によって千鶴と新選組とはあの運命的な出会いを果たしたのです。
 それに対し、井吹が松本に出会うのは新選組との関わりがほとんど終わった後、さらに松本に引き取られることで井吹と新選組の関わりは一度終わります。井吹と松本が深く関わるのは土方ルートだけのことですが、これもまた千鶴を意識した結果としての井吹と千鶴の対比、つまりは「松本と出会えなかったことにより新選組と関わることになった千鶴」と「松本と出会ったことにより、新選組との関わりを(一時的にであれ)終わらせる区切りになった井吹」なのではないでしょうか。

 また、黎明録ではほとんど登場しない松本の名前が、土方ルートの他にもう一つ出るシーンがあります。言わずもがな、芹沢ルートで井吹が平間と共に京を出る日、ちょうど京についたばかりの千鶴に松本の家までの道を尋ねられ、井吹が教えてやる、という、井吹が作中で新選組と出会う前の千鶴が唯一接触するシーンです。
 もちろん、千鶴から見て、「道を教えたのが井吹である」ということそれ自体に大した意味はありません。井吹と出会おうと出会わなかろうと、千鶴は見知らぬ誰かには道を尋ね、最終的に松本が留守だと知り宿のないまま夜を迎えるのですから。
 しかしこれを井吹が「松本の家を訊かれ、教えた」と読むと、プレイヤー視点には少し面白いことがあります。黎明録を全クリした人ならご承知の通り、「井吹が千鶴に、松本の家のある場所を教える」芹沢ルートは、「井吹が松本に引き取られる」土方ルートをクリアすることによりロックが解除され、プレイ可能となるからです。つまり井吹が松本に引き取られた話を読んだ後でなければ井吹が松本の家までの道のりを教えることはありません。
 この接触にはやはり、芹沢ルートにおいては最終的に千鶴と深い仲になる相手と井吹との関わりがほとんどなかった、というのも手伝っているのでしょうか。井吹は風間のことを覚えてはいますが、他ルートで再会する攻略対象たちほど深い繋がりは持っていません。また、井吹が蝦夷地へと向かう船の上で観察するのは風間ではなく言葉を交わすことのなかった千鶴です。ここで初めて井吹は「自分が知っている人物を支える少年/少女」としてではなく「なんらかの事情により自分と同じく新選組を見届けようとしている人間」、つまり個人としての、さらには自分に近い立場にいる人間としての千鶴を見ます。他、千鶴が隊旗を抱いて泣くシーンなど、井吹による千鶴の認識が他ルートとは明らかに性質を異にしているという話もまた面白いですが、脱線が過ぎたのでそろそろ話を締めくくります。

 松本と近藤が知り合うのは、前の記事でも述べましたが元治元年の10月のことです。そして一介の浪人(もしくは流れもの)に過ぎない井吹が幕府の御典医である松本と知り合うには、やはり新選組繋がり以外では難しいでしょう。(理由をつければどうにでもできはするでしょうが、それにはやはり黎明録の土方ルートとしてあまりにも余計なエピソードが必要になりすぎると思われます)
 また松本なら、最終的に井吹を土方の元まで導く存在となる山崎との縁もあります。井吹があばら家を出て戊辰戦争が起こるまでの間、身を寄せさせるのにこれ以上ない相手といって差し支えありません。また鳥羽伏見の戦いのあと、井吹が山崎を看取るのにも「松本の弟子」というのは都合のいい立場と言えるでしょう。むしろこれ以外にないと言ってもいいかもしれません。井吹は山崎の遺言をきっかけとして武士の背中を追い始めるのですから・山崎を看取るまでは(つまり船に乗り込む時点では)非戦闘員である必要があるのです。井吹が山崎の遺言により、武士の背中を追い、土方を追いかけるためには、男性で、身分の高い家柄のものや優れた文官でなくとも戦闘員として軍艦に乗れる「軍医」という立場が必要だった。

 以上のことから井吹があのように長くあばら家にとどまっていたのは、単に井吹が引き取られる先は松本の元でなければならなかったからではないかな、というだけの話でした。

(あとこれかなりうろ覚えで書いてるので変なところあったら教えてください)