水玉屋

狂いたくないオタク

⑥沖田ルートの対称

 平助と龍之介がワンコンビだとすればこちらはワンニャンコンビ。  ひねくれ者の龍之介と同じくひねくれ者の沖田、ひねくれ者同士うまくいく、なんて都合のいい話はありません。  いじめっ子気質の気まぐれ屋さんな沖田となんだかんだ言って生真面目な龍之介はまさに猫と犬。沖田にからかわれいじめられいじられ、と龍之介は散々な目に遭います。  ただし沖田といってもやはり黎明録、斎藤が物語開始時点でもっとも覚悟を決めていたとすれば、ライバルである沖田はもっとも揺らぎ、惑うキャラクターです。龍之介と違うのは、それでも迷わないたった一つの"目的"があるところ。  いじめたりいじめられたりするうちに、沖田と龍之介はお互いになにも持っていない子供だった者同士だということに気付きます。もちろんそこは犬と猫、気質の違いもありますが、もっとも大きいのは「近藤さんのような大人がそばにいたかどうか」  なにも持っていなかった沖田は、自分にとっての唯一である近藤さんのためなら、たとえ近藤さんを悲しませてでも剣になろうと足掻きます。  そして近藤さんのような人と出会えなかった井吹は、そんな沖田を羨ましくも悲しくも、恐ろしくも思います。  近藤さんのためなら何者であろうと斬る、と決めた沖田と、沖田からすれば近藤さんの敵にあたる芹沢側の人間である龍之介。もちろん剣の腕では沖田にかなうべくもない龍之介ですが、どんな結末を迎えるやら。  ここでも注目して欲しいのは二人の関係性。友達というには刺々しく、知り合いというには知り過ぎていて、もちろんどっちも相手の面倒なんて見ないし見られたくなんてない。でもなんだか気になって仕方ない相手。  いつも下にみておもちゃにしていた龍之介に沖田が時折真剣に投げかける言葉のひとつひとつにたまらないほどの情感がこもっていて、胸をえぐられます。

 クライマックスは読み進める度「バッドエンドに入ったか?」と不穏になるようなハラハラ感。  エンディングの寂しさや爽やかさ、少しの嬉しさや懐かしさ、その余韻は、沖田というキャラクターによく似ているように感じられます。