水玉屋

気の狂った腐女子が自分語りしたり解釈吐いたりします。

私の推しの名前について

 以下の文章は全て私個人の推測であることを念頭に置いた上でお読みください。


 私のツイッターをフォローしている人の大部分は知っているかと思いますが、私の推しは井吹龍之介という名前をしています。

 薄桜鬼という乙女ゲームのファンディスク(番外編のようなもの)である黎明録の主人公で、本編より前にあった出来事の語り手です。戦う力もなく、物質的にも精神的にも貧しく育ち、自分に対しても他者に対しても否定的で、しかし本当の意味で全てを諦めてしまうことができない。本当に困っている人間がいれば手を差し伸べ、求められれば与えることをやめられない。そういう人間くさくてお人好しな彼が私は好きです。

 なぜそういうキャラクターに井吹龍之介という名前が付けられたのかということについて、一通り自分にとっての結論らしきものが出たのでメモも兼ねてここにまとめておきたいと思います。


・音について

 井吹龍之介という名前のベースになったのは、とりあえず市村鉄之助という薄桜鬼では存在していない隊士だと思われます。この点については説明するまでもないかもしれませんが一応の根拠を以下に挙げます。 

 まず前提として、薄桜鬼本編の主人公、雪村千鶴の役職は「土方歳三の小姓」であり、雪村千鶴の名前のうち名字の「〜imura」の音や、名前の1音目の「chi」が市村鉄之助の名字の2音目と同じであること、2音目が「du」であり鉄之助の名前の2音目である「tu」の濁音であることなどから、雪村千鶴の名前には市村鉄之助の影響があると言えます。

 そして雪村千鶴が主人公であった「薄桜鬼ー新選組奇譚ー」のファンディスク「薄桜鬼 黎明録」の主人公が私の推しの井吹龍之介です。

 井吹龍之介の名前と市村鉄之助の名前のうち、重複箇所は名字の1音目の「i」、名前の後半の「nosuke」です。

 市村鉄之助から雪村千鶴と井吹龍之介ら、二人の主人公の名前と重複していない部分を抜き出すと名前の1音目であり名前の真ん中の「te」あるいは濁音との区別を残すなら「鉄」だけが残ります。また反対に雪村千鶴の名前から市村鉄之助との重複部分を引けば「yuk」「ru」と初めと終わりの音だけが残ります。また、井吹龍之介の方はというと、「buki」「ryu」とこれも名前の真ん中だけが残ります。三人の中での比較なのでこの分け方の根拠は薄いですが、三人の中では男性が名前の真ん中だけが、女性は名前の両端だけが彼/彼女の独自に持つ部分だということがわかります。別の観点から見るのなら、雪村千鶴と井吹龍之介の名前はどちらも個人としては不完全なものであり、両者の名前(のうちそれぞれ本人だけが持つ部分)を組み合わせて、やっと一人分の名になるという風にも読み取れます。

 雪村千鶴の名前に残った「雪」や濁音と清音を区別する場合に残る「鶴」の意味についても触れたいところですが、ここでは省略します。

 話を井吹龍之介個人に戻します。このように井吹龍之介の名前の音のほとんどが市村鉄之助や雪村千鶴からの影響を受けていることがわかります。

 では、その影響下にない「ぶき」「りゅう」の部分や、音とは無関係な漢字の部分にはどのような意味、あるいは価値が読み取れるでしょうか。


・いぶき、という音

 井吹龍之介、という名前のうち頭と終わりと「い」「のすけ」には必然性があるという話を先ほどしましたが、ではなぜ井吹龍之介は「井吹」という名字なのでしょうか。市村鉄之助とのつながりを作るためであれば、市川、とかそれこそ千鶴のように名字のうち1文字が完全に重なっていても良かったように思います。(千鶴と鉄之助の名前の重なりが漢字の上では一文字なことを考えての選択という風にも受け取れますが)

 いぶき、という音のものを探してみると、意味あるものは「息吹」「伊吹」の2種類になります。

https://www.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%81%B6%E3%81%8D

 ウェブリオのこのページを見てみると息吹の方は息遣いや気配、春の息吹を感じる、などで使われるような生気の意味もあります。「りゅうのいぶき」というのはポケモンやモンハンでもありますし、ちょっとそれ以前の説得力のありそうな具体的な例は見つけられなかったのですが、ある程度は一般的な言葉ですね。

 伊吹の方はというと、米原市の地名や、そこにある山の名前というのが出てきます。木の種類でもあるようですが、ここでは割愛します。

 伊吹山の話をもう少し深く見てみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E5%B1%B1

 古くは日本書紀古事記に登場する歴史ある山のようです。薬草も取れるという点は、少し井吹龍之介の母親や、土方ルートを思い出させますね。

 上記のページにはありませんが、伊吹山にはさらに興味深い話があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90

 このページの「地方伝説」の項目に伊吹山酒呑童子の話が載っています。(ちなみにこの伊吹山酒呑童子の繋がりとについては、黎明録発売前の2ちゃんねるのスレッドへの書き込みで知ったので私が気付いた訳ではありません。ご承知おきください)

 酒呑童子といえば、薄桜鬼のメインヒーロー、土方のライバル、西の鬼の頭領である風間千景との関係が深いですね。

 原作の土方ルートで、異国の鬼(推定吸血鬼)の血を飲み怪我を負ってもたちどころに回復する羅刹となった土方を殺すため、風間千景は「童子切安綱」という、源頼光酒呑童子を退治した際に使ったと言われている刀を用います。これにより土方は、風間に童子切安綱によって付けられた傷だけは普通の人間のように回復を待たなくてはならなくなりました。

 つまり風間は、土方を自分と同種の鬼、「酒呑童子」に見立てて殺そうとした訳です。

 一度、ウィキペディア酒呑童子の項目に戻ります。

 ここで酒呑童子は、伊吹山の八岐大蛇と地元の長者の娘との間に生まれ、はじめは人間だったと言われています。しかしある日、鬼の面を付けたまま眠ってしまい、その面が外れなくなり、最終的には母親の導きで本物の鬼となります。

 黎明録が最初に発売された、2010年に出たPS2版の黎明録の限定版パッケージや、オープニングで主人公の井吹龍之介の足元、沖田、斎藤、藤堂、原田の攻略キャラクターたちが映し出された後、最後に映る土方は首から赤い目をした鬼の面を下げています。そして作中で土方にとって指針、あるいは呪いとなる芹沢の言葉は「土方、おまえは鬼になれ」です。

 これらの繋がりから、井吹龍之介の「いぶき」という音は酒呑童子伝説がある「伊吹山」が由来と思われます。


・井吹、という漢字について

 いぶき、とパソコンやケータイで打ってみると、ほとんどのものでは漢字変換ははじめに伊吹や息吹と出てくるのではないでしょうか。井吹、という字も出てはきますが、その二つより順位は下に来るかと思います。(もちろん井吹と変換したことのないものの場合です)

 井吹龍之介の名字が「いぶき」である理由は先ほどお話ししましたが、ではなぜ由来となったと思われる「伊吹」ではなく「井吹」という字があてられているのでしょうか?

 そもそも井吹龍之介の先祖については、黎明録発売前のGirl’sStyle2010/07号に掲載されたSSに以下のように記述されています。


『先祖は元々、近江にある藩の大名に仕えていたそうだが、のちに御家人として召し抱えられることになったらしい』


 近江には先ほども登場した伊吹山もあります。江戸時代初期は佐和山藩、という藩の中に組み入れられていたようです。(https://www.digitalsolution.co.jp/nature/ibuki/Information/old-story/ibukiyama-kochizu.htm

 佐和山といえば、関ヶ原の西軍の大将である石田三成が居たことで有名ですが、関ヶ原の戦いの後、佐和山藩を治めていたのは井伊直虎や直政で有名な井伊家だったようです。幕末に桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼もこの家の出身ですね。

 また、井伊直政は家康からの期待も厚く、当時の井伊家には家の基盤強化のため家康のところから寄越された家臣も多くいたようです。また、当時の井伊家の軍律は厳しく、そうして家康から与えられた家臣の中には直政の厳しさに耐えかね、家を出奔した者もありました。そうした者が後に徳川家への復帰を許された例もあります。

 井吹龍之介の名字が「井吹」であるのも、この井伊家との繋がりがあると考えれば自然です。その場合、井吹家が元々伊吹山の近くの土着勢力だったのか、それとも徳川から井伊家へと遣られ、分家なりなんなりで伊吹山と井伊に因んだ名前を貰ったのかはわかりませんが、井伊家の「井伊」という二文字は、"井"吹と"伊"吹とを繋ぐことが出来ます。


・龍について

 さて、ここまでの中で井吹龍之介という名前のうち、残すところはとうとう名前の一文字目だけどなってしまいました。

 龍というのは誰しもご存知の架空の生き物かと思います。先ほど述べたように伊吹山は蛇神も祀っていますし、そこを意識したチョイスとも言えそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%AB%9C

 ウィキペディアの日本の竜のページですが、竜とは水神として祀られることが多かったようです。また、雨乞いの対象にもなったとか、海神としても祀られていたとか。

 黎明録をプレイしたことのある方はご存知のことと思いますが、井吹龍之介にとって命の恩人である芹沢鴨暗殺の日の天気は大雨です。また、井吹龍之介が芹沢鴨暗殺の日より前に新選組の元を離れる沖田、藤堂、原田、小鈴ルートのうち、原田ルートを除く3つのルートでの井吹龍之介と攻略対象との別れ(小鈴の場合は再会と出発)は必ず鴨川のほとりで行われます。沖田ルートなどは川に突き落とされることで井吹龍之介は表向き死んだものとされ、生き延びることが出来ます。川辺での別れのシーンがない原田ルートでも川を越える描写があります。

 また、薄桜鬼の中でメインルートである土方ルートで井吹龍之介は雷雨の夜、芹沢鴨の死に立ち会い、自らも命を失いかけますが、このルートでも川というのは大きな意味を持ちます。

 まず、井吹が土方を見届ける原因となった山崎との関係は衝突ののち、鴨川の川辺での和解から始まります。その中で山崎は、土方と近藤との夢が始まった場所として多摩川のことを語ります。そして土方ルートのラスト、土方の写真と髪とを持った井吹が土方の故郷へとそれらを届けたあと、物語のエンディングは土方と近藤との夢の始まりの地である多摩川のほとりで井吹龍之介が自らの歩んできた道を肯定する、というものです。

 以上のように井吹龍之介、ひいては黎明録において川や雨というのは重要な意味を持って居ます。

 加えて、井吹龍之介の元となった市村鉄之助の兄の名前は「辰之助」と言います。辰とは干支の龍ですね。これも「龍之介」の名前を作った要素の一つと見ても構わないかと思います。




 以上が、今の時点で私が井吹龍之介の名前について思っていることとなります。これ以後も新しい気付きがあり次第、このページに追記として書き加えていこうかと思います。

 他になにかお気付きの点がある方は、ブログなりツイッターなりで教えていただけるととても嬉しく思います。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。


 あと万が一、億が一、黎明録をやったことはないけどこのページを読んで、黎明録に興味を持ったという方がいらっしゃいましたら是非ともよろしくお願い申し上げます。

 下に貼ったリンクの商品のパッケージの真ん中にいるのが先述した鬼の面を首から提げた土方歳三になります。

 また、下に貼ったPS2版の他にもPS3PSPPSvita、DSにも移植済です。中古ならそんなに値段もしません。きちんと本編のメッセージ性を活かした形でのミュージカル化もされていますのでゲームに時間を割けず2.5次元に抵抗のない方は是非とも機会があれば見てみてください。dアニメなどで配信があった場合は私のツイッターアカウントが騒ぎます。

自分の同人誌の表紙の話

 なんだかブログをずっと放置しているなとおもったのでつらつらと書いていきます。いま確認したら342日ほど放置してました。

 最近薄ミュの原田篇を見てぼんやり前に本として出した「白き空」みたいな感じの無印と黎明録のノーマルルートについての各キャラクター視点の話が書きたいなあと思いました。ただ詰めている間にこれは全ルートやり直して井吹がどの選択肢選んでノーマル入ったか千鶴がどの選択肢でノーマル入ったかを決めないとちゃんと書けなさそうだなと思って手がつけられていません。

 ちなみに薄ミュの原田篇は明日の午後から10日までGyaOで配信があるので見てください。個人的には薄ミュの中でも結構好みの脚本でした。


 もうじき最後に本を出してから半年になりじわじわ当時考えていたことも忘れそうになっているので自分用のメモも兼ねて表紙の話をします。

「白き空」は個人的に珍しく書きたいことがほぼ全部パシッと書けたなという小説なので結構思い入れがあります。表紙も地味だけど気に入ってます。

「白き空」は風間の話「だれかの」の最後で「それまでの話のキャラクターたちは井吹龍之介という空白に自分の中にあるものを見出していたに過ぎない」というところに話を落としましたがペーパーの「いつかの空白」にもあるようにその後の井吹龍之介には井吹龍之介なりの人生がありますしそこには矜持も覚悟もあります。そういうことも含めて白や灰色の雲の向こう側に青空(誰かにとっての空白ではない一人の人間としての井吹龍之介)があるという意味で表紙の青や裏表紙の文字の青と白のまだら模様がありました。

 紙はアラレでフルカラー印刷でした。


「ゆきみち」の表紙はそらゆめさんにアドバイスをもらいながら描きました。初めは幹しか描いてませんでした。

 あれは表紙だけ見た時に雪の中にある道のシルエットに見えたらいいなあとぼんやり思いつつ描いたものでした。まああんまり見えませんが。本当は最後まで読めばわかる通り梅の木です。ちなみに帯ペーパーの「紅梅の咲かぬ庭」の最後で井吹が思い出す京の紅梅の木は山崎の暗喩でもあります。外見は黒々としているのに断面は赤い。まあ井吹は山崎の忍び装束姿を見たことがないかもしれないですし無意識です。

 レザック紙の「ゆき」にモノクロ印刷でした。


「さよなら△またきて□」はそらゆめさんにめちゃくちゃ注文をつけまくってお願いしました。夕暮れ時で川の近くで遠くに山が見えてというのはもちろんあのスチルのイメージです。裏表紙にある民家の木はやはり梅です。井吹の影にはわかりやすく髷がついていて胴体も着物の色をしていますが実は山崎の陰にも後ろ髪がなびいていて上半身が緑がかっています。山崎の後ろ髪は井吹へと伸びていますが井吹の後ろ髪は道路へとはみ出ていてそこに車のタイヤが迫っています。まあ本編の自分を幕末の延長線上にあるものだと(つまりは幕末の自分=現在の自分だと)思っていた井吹の勘違いが自覚されるというかまあそんな感じのあれです。

 あと山崎の足元の水たまり、小さくてわかりませんが蟻を沈めてもらう予定でした。個人的なイメージですが忍び装束姿の山崎に対して黒蟻のイメージを持っているので、水葬をイメージしています。

 見えなくなったものとしてはあとは夕焼け空に飛行機雲がぼんやり入ってます。これも表紙の二人は幕末で喧嘩をしたのと似た景色に向かって歩いていくけれど、別にその先にあの河原やあの空があるわけではないという意味です。あと作中でも山崎が飛行機の光を星だと勘違いするシーンがありますがあれはちょっとだけ「ゆきみち」で二人が夜空の星を見上げるシーンを意識してます。つまりあの時に見上げている空が「ゆきみち」で見たのと同じ星空だというような、幕末と現代は変わらないというのは山崎の勘違いであるということの暗喩だったりします。


 次は最初に書いたノーマルルートの千鶴と井吹の話か、土方ルートの箱館あたりの井吹の話か、芹沢ルート準拠の転生ものの山吹組の話か、記憶喪失になるあばら屋の井吹の話か、山崎が井吹を殺そうとする話が書きたいなあとぼんやり思ってます。思ってるだけです。書いたものが長くなったらまた本にしたいです。


 あと今までに出した本は全部通販してるのでよかったらよろしくお願いします。

 https://ssl.form-mailer.jp/fms/8aaa807b423600

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井吹と山崎の話【前編】

 過去の記事を読んでいただけた方はすでにおわかりかと思いますが、土方ルートの井吹と山崎が好きです。本編時間軸だと主にコンビ、+的な意味で好きです。SSLはなんでもいいです。最近は個人的に×の時は崎龍、+の時はやまぶきと呼んでます。なんとなくです。

 そもそも井吹と山崎の関係性がなかったらこんなブログを作ることさえなかったでしょう。


 今回はとりあえず、黎明録のこの二人の関係について私はこういう風に思っている、という表明のために記事を書いていこうと思います。

 まずは順を追って、黎明録という作品全体で見た時の二人の関係。

・共通ルートについて

 山崎が入隊してきた時、近藤によってその場に連れてこられていた龍之介は山崎について「頭が硬そうなやつだな。斎藤あたりとは気が合いそうだが」という印象を抱きます。この時点で山崎側が龍之介を認識しているかはわかりません。共通ルートでの絡みはこれだけ。あとは、なにかあった時に山崎の発言を龍之介も聞いていたりはしますが、それに対して個人的に特別なにか思う、という描写はされません。


・土方ルート以外の個別ルートについて

 個別ルートに入った時、山崎と龍之介が絡むのは芹沢、土方、斎藤ルートとなります。

 まず斎藤ルート、個別ルートに入る直前(ただしルート分岐後)の「山崎との衝突」というタイトルのシーン。大坂で力士たちとの乱闘騒ぎが起こる夜、斎藤が仮病を使い山崎と宿を抜け出し、二人がうまく話をまとめて帰ってきた時、井吹が喜ぶ二人に「土方さんが今回の話を思いついたのは芹沢さんのおかげじゃないか」と水を差したことから井吹と山崎は口論になってしまいます。

 この時の山崎と龍之介のやり取りを要点だけ拾っていくと


龍「俺は浪士組の主導権争いなんてどうでもいい、芹沢派なんてものになった覚えもない」

崎「【出て行きたい】と言いながら、そんな中途半端な立場のまま浪士組に居座るのは許されない(恐らくは自分が許さない)。なにより君はどこからどう見ても芹沢派だ」


 となっています。

 この時、山崎の

「浪士組には、自分の行く道すら決められない半端者の居場所などない。さっさと出て行け」

 というセリフが決定打となり二人はつかみ合いになります。

 しかしその場では、井吹が一発目の殴打を決めようとした瞬間、斎藤の仲裁が入り二人は拳を下ろします。

 その後は目立った衝突や逆に和解などはありませんが、井吹が相撲の引札を描く頃には山崎も他の隊士たちに混じって素直に井吹の功績を認め、井吹もその言葉を嬉しく思うようになっています。他に斎藤ルートでこの二人が絡むシーンもないので、まあ時間と共にお互いある程度妥協しながら生活していくようになった、ということでしょうか。


 次に芹沢ルート、五章の「大きくなる不安」のシーンは、永倉が「忙しいが、力士たちと乱闘した時に比べれば気持ちのいい仕事だ」という旨のセリフから始まります。

 ここで比較に出てくる「力士たちとの乱闘」はルートこそ違いますが、斎藤ルートで井吹と山崎が衝突した日のことですね。

 永倉の話しかけていた相手、山崎は、「珍しい組み合わせだな」と何気なく声をかけてきた井吹に警戒心を露わにし、相撲興行のことを井吹に話そうとする永倉を止め、足早に井吹から離れていきます。この時、山崎は井吹のことを「向こうの隊士」と呼んでおり、前川邸で寝起きする井吹のことを完全に芹沢派として見ていることが伺えます。(もちろん芹沢ルートですから、斎藤ルートなどに比べれば龍之介が芹沢寄りであることは間違いないのですが)

 芹沢ルートでの二人のやり取りはこれだけになります。


・土方ルートの井吹と山崎について

 さて、それでは本題の土方ルート。

 井吹と山崎の関係が始まるのは、個別ルート、つまりは四章に入ったふたつ目のシーン、「監察方発足」からになります。

 洗濯をしていた井吹が、山崎の視線に気付き後ろを振り返り、井吹が振り返ったことに少し驚きつつ、山崎は井吹に「隊士でもないのにここにとどまっているそうだが、一体いつ出て行くのか」と問います。井吹はいつも通り「芹沢さんの許しが出たらだ」と答え、山崎は納得していないような態度ながら、立ち去ろうとします。

 そこで井吹は山崎に「土方さんはどうしている」と聞きますが山崎は「隊士でもない君にそんなことを明かす必要はないが」と断りつつも、知っていることを教えてくれます。そこに折りよく斎藤を伴った土方が現れ、山崎を連れて行き、井吹はその場に残され場面は終わります。

 数日後、土方は芹沢の元を訪れて隊の内外を探る「監察方」という役職を置くことを伝えます。自分を見張るためか、と尋ねる芹沢と、なんのことだか、ととぼける土方。芹沢は不意に井吹にその役職を手伝わせるように言い出し、土方も了承します。

 土方について部屋を出て、他の監察方のメンバーについて尋ねた井吹は、返ってきた「山崎」という名前に「あんな頭が固くて融通がきかなそうな奴と」と先のことを考え憂鬱になります。

 頭が固そう、という印象は、山崎が浪士組に入隊した日からあまり変わっていません。融通が利かない、というのはおそらく「いつ出て行くんだ」と問い詰められて付け加わった印象でしょう。

 その後、土方の部屋で張り切る山崎と島田を見て井吹は「面倒で片時も気が抜けない仕事をよくこんなに張り切れるものだ」と思います。乗り気ではないながら、監察方の役割については正確に理解していることが窺えます。

 その後は、土方について行ったり隊の内外で見聞きしたことを土方に報告したりと三人は監察方として特にトラブルもなく働いていきます。

 その中で、井吹は島田がお梅のことをよく知っているのに対して「さすがは監察方だ。自分も一応その一員ではあるが」と監察方らしい情報を持っている島田に対し、他人事のように感心してみせます。

 そんなある日、いつものように芹沢の使いで街に出ていた井吹は、島原の舞妓、小鈴と再会。はじめは龍之介につっけんどんな態度を取っていた小鈴でしたが、井吹と幾つか言葉を交わし和解します。やがて小鈴と別れ歩き出した井吹は背後に視線を感じて振り返りますが、そこには誰もおらず、特に気にすることもなく屯所に帰ります。

 原田ルートの印象が強く、それ以外ではほとんど登場しない小鈴が井吹と明確に和解するのは原田ルート以外では土方ルートだけとなります。これについても他とまとめて後述します。

 数日後、新見が再び羅刹の実験を行い、それを土方らが処分しますが、羅刹のことを知らない山崎がその場にやってきてしまいます。井吹と共に死体の処理を命じられた山崎ですが首のない化け物の死体に気分を悪くし、井吹に「だらしない」と窘められ抗弁しようとしますが、土方も井吹の意見に賛同し、しょげかえってしまいます。

 数日後、朝食の席で羅刹の首が市中に晒されたことにより町の人々からの評判が悪化し、藤堂が落ち込んでいると聞いた沖田は、藤堂に対して「だらしないなあ」とコメントします。沖田ルートをされた方ならご存知の通り、沖田ルートでは井吹と沖田が鏡のように似ている、ということが語られます。しかし土方ルートの井吹は、自分と沖田が同じようなことを言ったことについてなにも思いませんし、気付きもしません。

「だらしない」と言われた対象が藤堂と山崎である、ということの意味についてはまた後ほど。

 それからさらにしばらく経った頃、井吹は平間から小遣いを貰い、街へと出ました。それまで自分が自由にできる金など持っていなかった龍之介は使い道に困りますが、そこで小鈴と再会します。小鈴は「おいしいものを食べたり、友達に贈り物をしては」と提案しますが、井吹は自分はものの味に拘泥はしないし、友達と呼べる相手もいないと答え、最終的に二人は井吹のお金で一緒に茶屋で団子を食べて別れます。

 帰り道、再び何者かの視線を感じ、つけられていることに気付いた井吹はその相手を捕まえますが、相手が山崎であったことに気付いて驚きます。

 山崎から舞妓である小鈴と会っていたことについて「浪士組にいるのだから武士らしくしろ」と糾弾され井吹は「武士らしく」という言葉に死んだ母を思い出し激昂します。そこから「武家の生まれでもないくせに、時代錯誤な」という井吹の言葉が逆鱗に触れ、山崎も怒り狂い、重ねて「覚悟なき腰抜けの居場所など、浪士組にはない」と罵倒し、二人はとうとう殴り合いの喧嘩になります。

 この「お前の居場所は浪士組にはない」という旨の山崎の言葉は、「自分の行く道すら決められない半端者」と「覚悟なき腰抜け」という言葉の違いこそありますが、斎藤ルートの彼の言葉とも一致します。さらに、斎藤ルートの井吹は最終的に絵師になりますが、土方ルートで殴り合いの喧嘩をしたその日、小鈴に声をかけられる直前、井吹は絵双紙屋に入ろうとしていました。

 斎藤ルートの山崎と土方ルートの山崎は同一人物で、井吹に対して同じようなことを思っていたとしても不思議ではありません。そしてこれらの重なるセリフと、この喧嘩の直前に井吹が「絵双紙屋に入ろうとしてそれを阻まれた」というのは、このルートにおける仲裁者、つまり斎藤の不在をより強く印象付けるのではないのでしょうか。

 仲裁者のない二人はとことん殴り合い、罵倒し合い、とうとう力尽きます。頭も冷えたのか井吹が「局中法度で私闘は厳禁」ということを思い出し、とりあえず二人は近くの川で傷を冷やすことにしてまた怪我の原因についてなすりつけ合いをしながら、川へと向かいます。

 鴨川で傷を冷やした二人は、河原へ腰を下ろします。やがてぽつりぽつりと語り出した山崎の身の上話を、井吹は黙って聞きます。

 武士になりたい、と夢を語る山崎の表情を見て井吹も「こいつなら、自分の身の上話を聞いても笑ったりしないんじゃないか」と思い、山崎に続いて身の上話を始めます。

 武家に生まれたものの、幼い頃に士分を失い必死で働きながらも母親に苦しめられてきたという井吹ですが、「それでも君が羨ましい」と言われても腹が立たなかったことに「ひょっとしたら自分は、武家に生まれたということを誰かに認めて欲しかったのかもしれない」と思います。


 このシーンの一部を以下に引用します。


「俺の親父は元々、【抱入】って身分の侍だったんだ」

〜抱入についての説明中略〜

(俺は、小さく肩をすくめた。

 この先を話すのはなんだか惨めで……ためらいがあった。

 こんな戸惑いを抱く自分こ弱さに、苛立ってしまうほどだ。)

「だけど俺がまだガキの頃、親父が金に困って、御家人株を他人に売っちまったらしくてな」

「結局親父はその後借金を残した挙句、事故で死んじまったんだが……」

(冗談めかそうと思って、わざと軽い口調で話そうとしてみても、ひとりでに語気が乱れてしまう。

 だが山崎は神妙な表情のまま、俺の話を聞いてくれていた)

「お袋は、ろくに働いたこともないーー武家の女だってことを唯一の拠り所にしてるような女だったから」

「うちが武家じゃなくなった後も、ガキだった俺にーー」

「【あなたは武家の長男なんだから】【将来、お侍さんになるんだから】って言い続けてたんだ」

「……そんな誇りなんて、生きていく上でなんの役にも立たないのにな」

(声が、ひとりでに荒れ始める。

 もっと、何てことない口調で話したいのに、うまくいかない。

 ……要するに俺は、吹っ切ってないんだ。

 俺にとっては、親父のこともお袋のことも……まだ過去のことになってないってことなんだろう。)


ここで、藤堂ルートの井吹が身の上話をするシーンを見てみましょう。


「俺の家は元々、奉行所勤めをしてる武家だったんだ」

「だが、親父は金勘定があんまり得意じゃなかったらしくてな」

「生活に困った挙句……御家人株を売り払っちまった」

(何でもない冗談みたいに笑いながら話したいのにーー。

 俺の声は、ひとりでに震えを含んでしまう。

 俺はきっとまだ、親父のこともお袋のことも、全然吹っ切っちゃいないんだろう。

 そんな自分がみっともなくて、滑稽で仕方ない。

 だがそんな内心を悟られるのも癪だったから、皮肉めいた笑みを浮かべながら尋ねる)

「……お前には、想像できるか?【立派なお侍さんになりなさい】って言われ続けて育てられたのにーー」

「侍になんて一生なれないってことを知った時の気持ちを」


 以上に引用したふたつのシーンにはいくつか共通点があることがお分かりいただけたかと思います。細々とした語り口の違いはありますが、

・井吹の家がかつて武家で、いまは士分を失っていること

・母親から「侍になれ」という旨のことを言い続けられていたこと

・井吹自身は過去の話を軽い調子で話したいと思っているが、実際には語気が乱れてしまっていること

 以上の3点が非常に似通っています。

 さて、それまでの井吹との関係が真逆のものだったとはいえ、この話を聞いた時には真剣に井吹の吐露に耳を傾けていた、山崎と藤堂、2人の反応を比べてみましょう。

 山崎は、「……それでも、武士の血を引いているというだけで、君のことが羨ましい」と言い、龍之介はその言葉に不思議と嫌な気持ちにはならず、「生まれを誇ることなんてないと思っていたが、ひょっとしたら自分は心のどこかで誰かに認めて欲しかったのかもしれない」と思い至ります。

 藤堂は、「……わかるよ、オレには。だってオレも、龍之介と一緒じゃん」

「親父がどこの誰なのかもわからなくて、どんな人なのかを調べるのさえ許してもらえなくてーー」

「自分で自分の行く道を探さなきゃならないこととかーー一緒じゃねえか」

 そして、武士として生きていくつもりがないのだから、少なくともここに井吹の道はない、と諭します。

 井吹はその言葉を正論だと思いますが、気持ちの上では整理がつかず「俺はお前とは違うんだよ!」と叫びます。

 しかし藤堂は井吹を逃さず、胸ぐらを掴んで「父親や母親は関係なく、お前がどう生きていきたいかが問題なんだ。わからないならわかるようになるまで考えないと、この先ずっとお前は自分の人生なんて生きられないままだ」と言い聞かせます。

 さて、ここで前述した新見が浪士を使って変若水の実験をし、山崎が変若水のことを知った夜の龍之介の山崎への言葉と、それから数日後、「浪士の首が晒されたことで、平助が町の人たちに後ろ指をさされ落ち込んでいる」と聞いた時の沖田の言葉が同じであったことを考えてみましょう。

 藤堂ルートの藤堂と井吹は、かなり「友達」という関係に近いということが公式から明言されています。(旧オトメイトスタッフブログより)そして沖田と井吹が似ている、というのは前述した通り、山崎と井吹についてはこの先で「友」「友人」「友達」という言葉が使われるようになっていきます。

 つまり、藤堂ルートの井吹にとっての藤堂と、土方ルートの井吹にとっての山崎は、とても近い存在なのではないでしょうか? もちろん、藤堂は自分のことを恐らくは武士の、それもかなり高い身分の人間の子だと思っており、山崎は逆に武士の子という立場を渇望しています。二人はむしろ真逆の性格をしていて、お世辞にも似ているとは言えません。

 それでも、井吹にとっては、身の上話を聞かせるほどの相手、胸の内を吐露し、それを聞いてほしい相手、そして友達になれるような人間、ということで一致していて、だからこそふたつのルートで井吹は同じような語り口で自分の話を聞かせたのではないでしょうか。

 ちなみに藤堂ルートで井吹が身の上話をして藤堂に胸ぐらを掴まれた直後、山南がその場に現れ2人を離れさせ、続いて山崎がやってきます。

 私はこのシーンの、「ほんの少しのタイミングのズレによって山崎は井吹が武家の生まれであることも、そのことによって苦しんだことも知らなかった」というのがとても示唆的に感じられて好きです。それを山崎が聞いていたならひょっとしたら土方ルートと同じように、井吹に対しての感情が変わっていたかもしれない。しかしほんの少しその場にやってくるタイミングが、本当に1分2分のところでズレたがためにそうはならなかった。2人の関係は動かなかった、というのが、とてもあえてそうしたように、「土方ルート以外でこの2人がお互いについてを知ることはない」と示されたようでとても、好きです。余談です。

 この、井吹にとっての藤堂と山崎、という問題については、また触れます。

 さて、話は戻って土方ルート。井吹と山崎はお互い、罵倒したことを謝罪し笑いあって屯所に戻ろうと立ち上がります。しかしそこで井吹は「羅刹や変若水の話を聞いた時、出ていきたいとは思わなかったのか」という問いを投げかけます。

 「そういう気持ちは確かにあった」と認めながらも山崎は、今度は土方から聞かされた、土方の身の上話を始めます。


 豪農の家に生まれ、武士になりたいという夢を抱きながら燻っていた土方は、自分と同じ百姓の家に生まれ、剣術の腕を見込まれて武士となった近藤に希望を見出します。そして近藤の人柄に惚れ込み近藤との関係を「自分の身体のもう半分に出会っちまったみてえな、不思議な感覚」と表現するまでに至ります。そして武士になりたいという夢を打ち明け、近藤の「いつかなれるさ」という言葉に救われます。


 そこまで聞いた井吹は「自分は夢を見たことなんでなかったから、そうやって夢を見られる土方さんや山崎のことを羨ましいと思う」とこぼし、山崎は「今まで見られなかったのなら、これから先、いくらでも見ればいい」「君にだってきっと、"【自分にはこれしかない】と確信できる道"が見つかるはずだ」と返します。

 ここで再び、斎藤ルートでの山崎の、つかみ合いの決定打となった言葉を思い出してみましょう。

「ここには"自分の行く道"すら決められない半端者の居場所などない」

 先ほども書いた通り土方ルートの、井吹と殴りあう前の山崎の内心も、これに近いものがあったと考えて差し支えないでしょう。

 では、なぜ山崎は、井吹が変わらず自分の道というものを決められていないにも関わらずこれほど井吹に対しての態度を軟化させたのでしょうか。

 もちろん、言いたいことを全部吐き出し、精根尽き果てるまで殴りあった。泥臭い男の友情を育んだ、とも言えます。しかしそこからさらに言葉を尽くせば、これは「山崎が井吹のことをこちら側の人間と認識した」ということではないでしょうか。そしてその原因がなにかといえば、やはり「土方、山崎らのことを"羨ましい"と表現した」これが大きいと思われます。

 斎藤ルートで井吹は「今回の成功は土方さんだけのものではない。芹沢さんの言葉がなければ土方さんだってこんなこと思いつきはしなった」といい、土方を敬愛している山崎の逆鱗に触れ、"芹沢派"として山崎の中で確定します。

 それを考えると土方、そして土方を敬愛する自分を肯定した井吹は、山崎にとって糾弾すべき相手ではなく、慰めるべき仲間となったのではないでしょうか。そして、山崎は仲間に優しすぎるところがあります。随想録の日常想起三、鳥羽伏見の戦いの最中でのエピソードでも山崎は「仲間を危険な目に合わせたくないから、危険な任務は自分が進んでこなす」とやや自己犠牲的な考え方を明かします。それと同じで、「武士になりたいなんて思わない」という井吹に対して藤堂のように「それならば君の居場所はここではない。早く自分の道を決めるべきだ」と厳しく、そして以前のように対応することが出来なくなってしまったのではないでしょうか。

 また、山崎の態度が軟化したもう一つの理由に「井吹が武家の血を引いていることを知った」ということがあると思うのですが、これについてはもう少し先のシーンについて述べる時に言及します。


 さて、井吹に先を促され、山崎は再び土方の身の上話を始めます。

 近藤が道場を継いだ後、黒船の来航や、井吹の母親が死んだ理由でもあるコレラの流行により道場の経営は苦しくなります。しかしそんな中、近藤を講武所の教授方に、という話が持ち上がり、土方を始め道場の人間たちは舞い上がります。しかし、「今は士分を持っているとはいえ、元は百姓の生まれ」といことがネックになり、その話は潰れてしまいます。

「やはり百姓の生まれの自分が武士になるなんて無理なんだ」と意気消沈する近藤に、土方は「近藤ほどの人物が武士になれないのなら、自分などに望みはない」と打ちのめされ、やがて激昂し、近藤の胸ぐらを掴み「誰がなんと言おうとあんたは一流の剣客だ。だからそんなことを言うな。自分はこんなことくらいで、あんたを世に出すって夢を諦めたりはしない」と怒鳴りつけます。

 近藤はそれでも「一人にしてくれ」と土方を部屋から追い出してしまい、それからも道場の経営は苦しくなるばかり、藤堂が浪士組の話を持ってきても、近藤はなかなか決心できずにいました。そんな中、土方は近藤を連れて川べりへと出かけます。

「武士になる夢を諦めたのか」と土方に問われ、近藤は否定しますが「浪士組として上京して失敗して、自分を信じてくれている人々を不幸にするのが怖い」百姓生まれの自分が、みんなの才能を埋もれさせてしまったらと思うと」と吐露します。そんな近藤に土方は「俺が講武所の時のようにはさせない」と、あれこれ理由を並べ立てて近藤を勇気付け、「俺は、あんたに賭けるって決めたんだ。俺が見込んだ男が、ちっぽけな男のはずがない」と近藤に上京を決めさせます。

「俺もーー俺を信じてくれているお前を信じることにしよう。……行くことにしよう、京へ」


 山崎は、この話を聞いて浪士組に残ることを決めたと語り、井吹は、あの人たちがどれだけ望んでも得られなかったのが自分を苦しめ、そして自分が疎んで来たこの血なのだと知り、自分は今まで自分のことしか見ていなかったのだと実感します。

 その後、山崎からお梅が芹沢に手篭めにされてから、屯所に出入りするようになり隊内の風紀を乱していることを聞かされ、井吹は(好感度を上げる選択肢だと)「どうにかしなきゃな」と言います。この「どうにかしなきゃな」というのもまた、井吹が芹沢派ではなくこちら側の人間なのだ、と山崎に思わせるセリフではないでしょうか。

 山崎が井吹の私生活に踏み込んだことに謝罪し、井吹も山崎を気にすんなよ」と許して「……こいつも悪い奴じゃないんだな。」「浪士組って居場所を見つけて……その場所を守りたいって、思ってるだけなんだ。」と思い至り、二人が連れ立って屯所へと帰るシーンで五章は終わります。


 

 長くなりましたので、六章と七章についてはまた後編で。

松本先生と井吹(と千鶴)

「井吹龍之介とあばら家」の続き


 井吹はなぜあんなにも長く、傷が癒えた後まであばら家にいたのでしょう。

 この点については、単なる一つのシナリオ上の必要性に迫られて、という点にとらわれず(って言ってもシナリオ上の必要性って側面はめっちゃ強いだろうけど)黎明録という作品全体、さらには薄桜鬼シリーズの中の黎明録といつ見地から考えてみると、より面白いことが見えてくるんじゃないかなあ、などと思い自分の考えを書いてみました。

 長くあばら家で山崎の世話になっていた井吹をあの場所から連れ出すのは、近藤と知り合ったばかりの松本良順、という話は「井吹龍之介とあばら家」の「なぜ井吹はあのタイミングであばら家を出たのか」という話でも触れたので割愛します。
 一度、薄桜鬼という作品の中での松本良順について簡単にまとめてみましょう。

・雪村綱道の知人の蘭方医、また幕府の御典医
・無印開始時に千鶴が京で頼ろうと思っていた人物
・変若水の開発にも携わっていた(程度は不明)
新選組とも親しい(元治元年10月に江戸で近藤と知り合って以降)

 私はこの、「物語開始時に千鶴が頼って来た人物」というのもまた意味を持っていると思います。実際には松本と千鶴は入れ違いになってしまい、2人が会う頃には千鶴は新選組に馴染んでいますが、そもそもはじめに2人の入れ違いがなければ千鶴は新選組の面々と例え綱道の繋がりとして出会っていたとしてもあそこまで深い関わりは持たなかったでしょう。つまり、松本の不在によって千鶴と新選組とはあの運命的な出会いを果たしたのです。
 それに対し、井吹が松本に出会うのは新選組との関わりがほとんど終わった後、さらに松本に引き取られることで井吹と新選組の関わりは一度終わります。井吹と松本が深く関わるのは土方ルートだけのことですが、これもまた千鶴を意識した結果としての井吹と千鶴の対比、つまりは「松本と出会えなかったことにより新選組と関わることになった千鶴」と「松本と出会ったことにより、新選組との関わりを(一時的にであれ)終わらせる区切りになった井吹」なのではないでしょうか。

 また、黎明録ではほとんど登場しない松本の名前が、土方ルートの他にもう一つ出るシーンがあります。言わずもがな、芹沢ルートで井吹が平間と共に京を出る日、ちょうど京についたばかりの千鶴に松本の家までの道を尋ねられ、井吹が教えてやる、という、井吹が作中で新選組と出会う前の千鶴が唯一接触するシーンです。
 もちろん、千鶴から見て、「道を教えたのが井吹である」ということそれ自体に大した意味はありません。井吹と出会おうと出会わなかろうと、千鶴は見知らぬ誰かには道を尋ね、最終的に松本が留守だと知り宿のないまま夜を迎えるのですから。
 しかしこれを井吹が「松本の家を訊かれ、教えた」と読むと、プレイヤー視点には少し面白いことがあります。黎明録を全クリした人ならご承知の通り、「井吹が千鶴に、松本の家のある場所を教える」芹沢ルートは、「井吹が松本に引き取られる」土方ルートをクリアすることによりロックが解除され、プレイ可能となるからです。つまり井吹が松本に引き取られた話を読んだ後でなければ井吹が松本の家までの道のりを教えることはありません。
 この接触にはやはり、芹沢ルートにおいては最終的に千鶴と深い仲になる相手と井吹との関わりがほとんどなかった、というのも手伝っているのでしょうか。井吹は風間のことを覚えてはいますが、他ルートで再会する攻略対象たちほど深い繋がりは持っていません。また、井吹が蝦夷地へと向かう船の上で観察するのは風間ではなく言葉を交わすことのなかった千鶴です。ここで初めて井吹は「自分が知っている人物を支える少年/少女」としてではなく「なんらかの事情により自分と同じく新選組を見届けようとしている人間」、つまり個人としての、さらには自分に近い立場にいる人間としての千鶴を見ます。他、千鶴が隊旗を抱いて泣くシーンなど、井吹による千鶴の認識が他ルートとは明らかに性質を異にしているという話もまた面白いですが、脱線が過ぎたのでそろそろ話を締めくくります。

 松本と近藤が知り合うのは、前の記事でも述べましたが元治元年の10月のことです。そして一介の浪人(もしくは流れもの)に過ぎない井吹が幕府の御典医である松本と知り合うには、やはり新選組繋がり以外では難しいでしょう。(理由をつければどうにでもできはするでしょうが、それにはやはり黎明録の土方ルートとしてあまりにも余計なエピソードが必要になりすぎると思われます)
 また松本なら、最終的に井吹を土方の元まで導く存在となる山崎との縁もあります。井吹があばら家を出て戊辰戦争が起こるまでの間、身を寄せさせるのにこれ以上ない相手といって差し支えありません。また鳥羽伏見の戦いのあと、井吹が山崎を看取るのにも「松本の弟子」というのは都合のいい立場と言えるでしょう。むしろこれ以外にないと言ってもいいかもしれません。井吹は山崎の遺言をきっかけとして武士の背中を追い始めるのですから・山崎を看取るまでは(つまり船に乗り込む時点では)非戦闘員である必要があるのです。井吹が山崎の遺言により、武士の背中を追い、土方を追いかけるためには、男性で、身分の高い家柄のものや優れた文官でなくとも戦闘員として軍艦に乗れる「軍医」という立場が必要だった。

 以上のことから井吹があのように長くあばら家にとどまっていたのは、単に井吹が引き取られる先は松本の元でなければならなかったからではないかな、というだけの話でした。

(あとこれかなりうろ覚えで書いてるので変なところあったら教えてください)

"黎明録"が好きということ

 試しに一本ブログを書いてみたものの今ひとつスッキリしなかったので、とりあえずスッキリするために自分語りでもしようかと思います。

 しかし「黎明録が好き」というだけでは多分なにも伝わりませんので、頑張ってせめて人に伝わる自分語りがしたいと思います。伝わらなかったらまあ、すまんやで。


 まず自分が薄桜鬼を知ったきっかけは、学校帰りに買い、片道3時間の電車の中で読んでいた漫画、の中に挟まっていたGirl’s Styleの広告でした。

 当時すでに銀魂司馬遼太郎PEACE MAKER浅田次郎等々経由で創作幕末にも手を出していた私は新選組を題材にしたゲーム、ということでまあ顔と服的にこれが土方なんだろうなと思い、カズキさんのイラストに心惹かれて寮生活&図書館の本さえあれば別に……な日々で余りまくっていたお小遣いでPS2版の「薄桜鬼 新選組奇譚」の限定版を予約しました。(残念なから当時は店舗特典というものを知らずにそのまま予約してしまった。無念)

 そんなこんなで最終的にはボロボロに泣きながら無印を全クリし、何本かの風姫小説や土千イラストを書きつつも熱は1年経たずに落ち着きました。当時はFDが出るのか当たり前、という風潮も知らなかったため随想録は発売してからずいぶん後に買いましたが、黎明録は予約しました。


 さて、前提として私は歴史物が好きです。時代物ではなく、とりあえずここでは歴史物と言っておきます。

 小説、漫画、舞台、映画問わず、きっちり最新の学説に則って書かれたものも、真偽気にせず有名な逸話を取り上げて書かれたものも、それこそBASARAのように歴史要素どこいった!? と言われるようなものも好きです。

 物語の終わった先が見えている、というのが安心して楽しめるから好きなんだと思います。

 新選組ものの漫画って、打ち切りになったものも結構ありますよね。漫画界のことについては余り詳しくないのてすが、私が好きな新選組作品の半分くらいは打ち切りで終わったように記憶しています。(特に芹沢暗殺の一区切りで終わってしまった作品の多いこと……)

 しかしそういった打ち切り作品も、完全にオリジナルで打ち切りになってしまった作品に比べて、安心感があります。また、回収されなかった伏線の一部でも、その後の歴史を知っていれば、この事件につながるんだろうな、あのエピソードに向けてだったんだろうな、と想像出来ますし、きちんと描かれ切ったものでも、この人が死んだ後、この話が終わった後、この世界はこうなって、ああなって、と具体的なイメージが出来ます。

 さらに言うなら、物語のはじめからその人がどう死ぬのか!! というのがわかるから好きです。それを裏切られるのも、それまでの過程を見るのも読んでいて楽しくって堪りません。(BASARAは英雄外伝までしかやってないのでとりあえず例外とさせてください)


 (表向きには)そうなることをあらかじめ決められている、というその縛りの中で、それぞれの作者がなにを、誰を、どんな風に、どういうメッセージを込めて描くのか、というところに心を惹かれます。同時代の作品をいくつ読んでも飽きるということがありません。


 さて、話を黎明録に戻します。


 前述の通り、私はいわゆる無印が好きでした。黎明録を買ったのもその繋がりです。ですが当初は男主人公ということもあり、反感さえ持っていました。最初にノーマルバッドと沖田ルートをクリアしてからは話として面白い!と夢中になりましたが、しかし沖田、斎藤、藤堂、原田をクリアし、土方ルートに入ったまさにその時にPS2のメモリーカードが壊れ、受験も控えていた私はそのまま黎明録を友人に貸してしまい、長らく薄桜鬼のことも忘れていました。

 それからなんだかんだで大学に入り、友人Aのすすめで忍たまにハマり、ミュージカルを観に行った私はまんまと2.5次元舞台沼にハマります。と言っても忍ミュを観る他は友人が持っているペダステのDVDを一緒に観るくらいの、のんびりとしたハマり方でした。

 5弾再演から1年ほど、読む分には楽しいから、とニュースくらいの気持ちで受け取っていたイープラスのメールに、「薄桜鬼黎明録」の文字がありました。

 忍ミュにも一緒に行ったことのある友人Bが荒牧さんが好きだったことを思い出し、友達と一緒なら行こうかな、とチケットを申し込みました。意外とすんなり取れてしまったので、まあそれならいい機会だから、と3年ほど前に黎明録を貸した友人と会うついでに黎明録を返してもらいました。


 ブラウン管テレビでやっていた頃より輪郭のぼやけたゲーム画面で、私は最後にプレイしてから4年越しに、初めて土方ルートと芹沢ルートをプレイしました。

 まあその後はお察し。黎明録と井吹龍之介で人生狂った。


 これがおおよそ1年前のことです。


 それまでは長くてもハマってから半年程度で脳味噌が沸騰するレベルの熱は冷め、1年もすれば新しいジャンルに移っていたはずでした。

 それがここまで保ったというのは、もちろん黎明録が素晴らしい作品だったというのも、私の性壁にマッチするものだったというのも確かです。ただ多分一番は、タイミングにあったんじゃないかなあと思います。

 ここ数年は、ハマった作品があって、それについて考えて考えて考えて、としながら、自分ではもうこれ以上なにも考えられない、気になるポイントがない、となってその周辺について考えながら、熱が落ち着いて、ということを繰り返してきました。その結果が、黎明録にこんなに長くハマっている、ということなんだと思います。


 黎明録は、とにかく文章量が膨大にあります。それこそ1ルートで半日くらい余裕で潰れてしまうほど。人によっては丸一日かかるでしょう。

 そして7つある(あえて7つと表記します)ルートの全てが、互いに関係しあっています。同じ言い回しが違う文脈で使われて、違う意味を持っていたり、あるルートではそのために生きて死ぬ、というほどだったものの前を、あるルートでは素通りするシーンがあったり、全てのルートを終えれば、もう一度、読みたくなるルートがあります。どれだけ一つのシーンや、一つのシナリオについて考えても、それは必ず他のものに繋がっているのです。もうこれ以上なにも考えられない、という時が、いつまで経っても来ないのです。


 そしてそれは、黎明録の中で完結するものではありません。


 黎明録が発売する前、公式ブログで黎明録は「本編に還る物語」と表現されました。

 その通り、黎明録は、無印と密接に繋がっています。無印のストーリーがあったことを前提にして書かれています。無印の前日譚としての黎明録の中のキャラクターたちは、無印よりも青く、幼く、未熟です。しかしその時代があったから、無印でこのキャラクターはこんな言動をしていたのだ、ということがとてもわかりやすく描かれています。

 一方で黎明録は、薄桜鬼本編の前日譚というだけには留まりません。黎明録が終わり、この先は本編に繋がるよ、というような投げっぱなしな終わり方ではありません。

 前日譚としての役目を終えた黎明録は、黎明録の主人公、井吹龍之介の物語のクライマックスとなります。お互いにまだ未熟だった頃に関わった相手の、本編を経ての変化を見届け、また自らの変化を自覚して、そうして華々しい本編(というか著名な歴史上の人物たち)の影で、黎明録という物語は人知れず静かに、終わりを迎えます。


 私が黎明録に心惹かれてやまないのは、黎明録の構造が私が歴史物に感じる魅力的な点ととてもよく似ているからだと思います。黎明録は前述した通り、黎明録で初めて登場した井吹龍之介の物語としても読めます。しかしそもそもは、本編を前提に描かれた物語です。

 薄桜鬼本編を「正史」(あえてこの言葉を使います)、黎明録を「歴史物の創作物」と読めばどうでしょう。どこに繋がるのか、時代はどうなるのか、わかりきった上、そして縛られた上での作品です。


 もちろん、本編は本編そのままでも大好きです。そうでなければ乙女ゲームから派生した男主人公の「女性向け幕末ドラマティックアドベンチャー」などというよくわからない、闇鍋か? と思うようなジャンルのゲームを買ったりしていません。


 本編が好きです。好きだからこそ、それを前提に作られた、歴史と本編の二つに縛られた不自由な、しかし一方では、名も無き、だからこそ何者にでもなれる少年の、とても自由な物語がどうしようもないほど好きです。


 私の好きな黎明録は、本編がなければほとんど価値がありません。けれど私が本編を好きな理由の3割くらいは、すでに黎明録がなければ成り立ちません。


 そういう"黎明録"が、私は好きです。


 ということを、これからブログをやっていく上で表明しておきたいな〜と思いここに書いておきます。(なお、以上に書いたことは個人的嗜好の話のためこの記事についてのみ一切の反論を受け付けません。他の記事で気になる点があったらガンガン突っ込んでね♡)

井吹龍之介とあばら家について

あばら家と井吹龍之介


 自然物と土方ルートのあばら家時代の井吹龍之介が好きです。声を失い命を繋ぐのに必要なものを完全に山崎という外部から与えられるものに依存し、表向きには人として死んだことにされて静かに生きている井吹は、普通の人間よりも植物に近いのではないか、と思うからです。もちろん植物と違い井吹は怪我が治れば自分で歩き回ることは出来たでしょうし、山崎から生活資金を与えられていたということは買い物にも出かけていたでしょう。筆談によって意思を表明することも可能です。しかし先にも書いた通り龍之介は表向き死んだことになっています。あまり大っぴらに街に出ることは出来ません。また筆談も、それを読む人がいなければ意味をなしません。
 また井吹が傷を負ってから松本先生によって引き取られるまでを過ごす家は、一貫して「あばら家」と表現されます。ここで一度、「あばら家」という語の持つ意味について確認したく思います。

あばら‐や【荒ら屋】

  1.  荒れ果てた家。破屋 (はおく) 。やぶれや。粗末な家の意で、自分の家をへりくだってもいう。
  1.  四方を吹き放した休憩用の小さな建物。あずまや。亭 (ちん) 。

goo辞書より(5/6アクセス)

 井吹が目を覚ました時の背景からして、黎明録での「あばら家」は1のことと思われます。また、目を覚ましたばかりの井吹が、そこが「自分の家」という意識がまだない状態で、しかも語る相手のない独白で寝かされていた建物のことをへりくだる必要がないことから、あの「あばら家」はその通り、荒れ果てた家のことと考えて差し支えないでしょう。
 この荒れ果てた破屋、あばら家について考えてみましょう。どういった経緯で井吹の身柄がこのあばら家に移されたのか、元々は誰の所有物だったのか。どこにあるのかというのは作中では語られませんが、井吹が少し室内を見渡しただけで「あばら家」と表現したからにはお世辞にも手入れが行き届いているとは言い難い状態だったと思われます。
 私はこの、人の手により作られてのち、人の管理下から外れ風雨に晒され放置された結果として荒れ果てたあばら家は、山崎という食料や生活資金を運んでくれる(個人的な見解を述べるのであれば主人公である井吹の生存のための装置としての側面も持つ)個人と、近藤という(伏線回収とその後の物語の展開に必要な)イレギュラーを除き、名前のある人間との接触が語られない程度には希薄になってしまった井吹の状況の暗喩にも取れるのではないかと思います。

 さて、あばら家で一年と少しを過ごした井吹は山崎が連れてきた松本によってあばら家を離れます。新選組内では一部の人間を除き表向きは死んだこととされながらも、松本の元で「武士とは正反対の」医者の卵として医術を学び、筆談だけではなく身振り手振りで自分の意思を表現する術を身につけます。鳥羽伏見の戦いが勃発した折にも、新選組との接触も自発的に避けながら、それでも学んだ医術を使い怪我人の救護にあたります。これらのことから、あばら家を離れた井吹はすでに外部からの供給により生かされるだけの存在ではなくなったと言えるでしょう。

 井吹があばら家で過ごした期間についても注目してみましょう。文久三年の9月の半ばに傷を負ってから目を覚ますまで、どれくらいかかったのかはわかりませんが、当時の医療技術、本職の医者がいなかっただろうことから物語冒頭で死にかけの井吹が一週間以上目を覚まさなかったことを考慮したとしても15日はかかっていないだろうと仮定し、ここでは井吹があばら家で目を覚ました時期を仮に文久三年の9月末日とします。ここから、翌年の「元治元年の冬」まで。詳しい月日が明らかにされておらず、また史実でこの時期に松本が上京した記録が見つからないため旧暦の季節区分にのっとり、また近藤が江戸で松本と面会したのが10月15日であることと、江戸から京まで徒歩で移動した場合、一般的には13〜15日程度かかること、入京がおそらく27日であるということ(未確認)を考慮し、これを11月から12月の間とします。
 この期間に起きた新選組の主な事件を以下に挙げます。

文久四年
 1月 将軍警護のため、新選組下坂
元治元年
 6月 池田屋
 7月 禁門の変
 9月 近藤ら、要人の警護と隊士募集のため江戸へ
 10月 近藤、松本と面会。藤堂の勧誘により伊東甲子太郎参入、末日入京。

 ここで井吹は、伊東とほぼ入れ違いになる形で恐らくは京を出ています。井吹があばら家にいた期間というのは新選組(特に井吹が知る試衛館一派)が、最も華々しくその名を上げた時期と言えるでしょう。
 そして翌年、元治二年の2月、季節で言うならば井吹があばら家を出た冬が終わり次の春に山南は表向きには切腹、実際には変若水を飲み、表舞台から姿を消します。
 つまり井吹があばら家を出てすぐ、長くとも4ヶ月以内に、新選組は変若水の実験において、初めて一応の成功を納めます。

 これは、井吹が主人公を務める黎明録というタイトル全体の中でも意味があると私は考えます。
 もちろん、井吹が新選組を完全に離れ、千鶴が隊に入った時点で新選組にもっとも近い語り手は千鶴に移ります。井吹はすでに薄桜鬼というタイトルの前日譚ではなく、派生作品である黎明録だけの語り手となります。
 しかし、他ルートでは井吹は基本的に芹沢暗殺の前後には京を離れ、新選組についてはただの一般人として噂を小耳にはさむ程度となります。それがこの土方ルートでは、芹沢の死後1年以上も京にとどまり、千鶴が知ってしまったような機密事項については隠されていただろうとはいえ内部の人間出ある山崎から新選組の面々の消息を聞かされます。
 その、黎明録全体でみるとあまりにも長く京にとどまっていた井吹が京を離れるタイミングが羅刹の成功例が出る直前、というのは、やはり意味があるのではないかと思います。単に松本と近藤が知り合った後、というのであれば、慶応元年(=元治二年)の5月に無印にもある通り松本は上京し健康診断を行います。であるにも関わらず、史実ではほぼありえない時期に松本を上京させてまでとなると、ある程度の作為があると見ても良いのではないでしょうか。(きっかけが松本であるということの意味については、いつか別の機会にまとめて書きたいです)逆に言えば、井吹が京にいられたのは(つまり現在のこととして鳥羽伏見以前を語れるのは)どういう経過を辿っても、変若水が一応の完成をするまでなのではないでしょうか。またさらに言うならば井吹が京を離れてから次に現在の語りが始まるのは、常に(千鶴の攻略対象が変若水を飲むルートの場合には)攻略対象が変若水を飲んだ後、しかも確実に井吹が見たといえる理性を保っている羅刹は一人きりです。 

 さて、ではなぜ井吹は変若水の完成前に京を離れ、変若水の完成を知りえない立場にならねばならなかったのでしょうか?(松本が変若水の完成を伝えた可能性についてはまた後日)
 これについては、無印と黎明録との羅刹の描かれ方、また井吹と千鶴という二人の語り手が見た変若水や羅刹、その受け取り方の差と関係していると思われます。
 無印は言わずもがな、千鶴を追いかけている不逞浪士を"失敗"した"新撰組"隊士が殺し、さらにそれを斎藤が処分、沖田、土方が現れるという始まり方をします。この時点で羅刹は恐ろしい化け物として描かれていますが、沖田と斎藤、その場にいた土方は、それよりもはるかに強い、千鶴にとってはまだ恐ろしい人物として登場します。また、話の途中からは羅刹の上位互換ともいえる鬼が登場し、山南という成功例が出てきたこともあり、変若水を飲むことや羅刹そのものへの恐怖感は薄れがちになっていきます。
 それに対して黎明録での羅刹は、まだ無印ほど改良が進んでいない状態の変若水で、その身を壊すほどに強い力を発揮します。隊士たちもその未知の化け物に対し困惑し、手こずり、語り手である井吹もそれに同調します。話が進むにつれ黎明録でも理性を保つようにはなっていきますが、そもそも黎明録に出てくる羅刹は1人目の家里、芹沢が捕縛した浪士、切腹する予定だった佐伯、一部のルートでの新見、それと芹沢だけです。このうち、すべてのルートで詳しく描写されるのは1人目の家里だけ、他の3人は出てこないルートもあるほどで、特に新見に至っては藤堂ルートのみ、芹沢も、土方と芹沢ルートのみと主要キャラクターが羅刹化したシーンが出てくるのは全体の約半分です。
 それだけに、1人目の羅刹の印象は強く、斎藤、藤堂ルートの終盤で羅刹化した2人を目にした井吹は「こいつも理性を失った化け物になってしまったのではないか」と戦慄します。
 そこに出てくるのが千鶴です。薬がどの程度改良されたのか、他に成功例がいるのかを知らない井吹から見ると、千鶴の存在によって化け物にはならず、人の心を持ったまま力を得たのだ、という自分の知る過去から繋がる未来がより鮮やかに映ったのではないでしょうか。そして井吹は力を使い果たせば灰となり死ぬ、という羅刹の特性を知りません。井吹の目を通した千鶴と羅刹となった古い知り合いの前途は、きっと本人たちが思っているよりも明るく見えたことでしょう。
(それならなぜ戦が終わる前で、千鶴がそばにおり、変若水を飲んでいる土方が羅刹になるのを井吹は見なかったのかという話はまた今度)
 これは、薄桜鬼というタイトル全体の主人公である千鶴に語り部という役割を明け渡した井吹に与えられた救いなのではないかと思います。唯一黎明期を見ることができる語り手である井吹は、その黎明期についてより正確に語らねばなりません。立場上どうしても見えない部分については、他のキャラクターの視点も交えて物語が展開しますが、それでも千鶴がまだいない頃の話の大部分は井吹の目を通して語られます。
 しかし、攻略相手と短い一時を共にしただけの井吹は、相手をずっと支えることも、またその逆も叶いません。相手がいつか灰となり崩れ去るなどということを知っても、井吹はなにもできません。
 だから井吹は知らないのではないでしょうか。相手が灰になることも、他に、大切な人を持たずして理性を持った羅刹が数多いることも、相手よりもさらに改良された変若水を飲んだ有利な羅刹が敵方にいることも、それよりも強い、鬼という種族がこの世にはいることも。
 もっと言うのなら、山南という近藤や土方に信頼されていた仲間が周りと衝突し、新しい参入者によって追い詰められ、自ら変若水を口にして生き延びたことも。
 井吹の目を通さずともその辺りの真相はプレイヤーはよく知っています。だから前日譚としての役割を終えた黎明録、井吹龍之介の物語が、せめて明るく締めくくられるように、井吹は絶対に「元治元年の冬」にあばら家を出なければならなかったのではないでしょうか。

(井吹がなぜそれまであばら家にいたのかについては土方ルートと松本の存在に焦点を絞って話す時にまた)